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ウィーンの葛飾通り

ウィーンは東京と同じく23区に区分されています。街のあちこちで何とも難しい名前の道路に出会うことがたまにありますが、先日も僕の住む21区(フロリズドルフ区)で見つけました。

「Katsushika Strasse」


tsuとかshiなんてあまり見かけないつづりなので外国語なのかなぁ、どうやって読むのかな?と眺めていると「カツシカ?」、なんのことはない「葛飾通り」ではないですか。地元の人はなんて発音しているんでしょう。

調べてみると、ウィーンの21区(フロリズドルフ区)は、東京の葛飾区と姉妹都市なのだそうで、市の北東部というその位置関係まで葛飾区と同じ。2001年にフロリズドルフ区内の約1キロの道路区間が「葛飾通り」と命名されて、葛飾市長が命名式に招待されたとか。両区の間ではホームステイの交流事業が長年行われているそうです。

そう言えば、東京に住む友人の奥様が、以前葛飾区の交流ホームステイプログラムでウィーンを訪問したって言ってたっけ。そのホームステイの話と謎のカツシカ通りに関連があるとは今まで思いもしませんでした。

同じ区内の、我が家から歩いて10分のところには、「男はつらいよ」のウィーンが舞台になった作品の公開20周年を記念して、寅さん公園(Tora-San-Park)なんて言う小さな公園が先月末オープンしました。20年前の「男はつらいよ 寅次郎心の旅路」は見たことがないのですが、これをきっかけに見ることになるでしょう。

国際機関の邦人職員会

今回赴任したウィーンの国際機関には、かなりしっかりした邦人職員会があります。日本人職員数はなんと約50人!月曜日の夜に、市内の日本食レストランで、邦人職員会の歓送迎会があったので、参加してきました。日本政府代表部の方々(大使や公使も含む)もたくさん参加され、合計約40人のかなりフォーマルな会でした。こんな雰囲気は日本で会社勤めをしていたとき以来という気がします。

月曜日の歓送迎会のことを知ったのが、前日の日曜日。僕も着任したばかりでしたので、歓迎されるメンバーの一人として、直前の滑り込みで参加させてもらえることになりました。

技術系の専門機関ということもあり、邦人職員の多くの方は日本の省庁、関連団体、企業からの赴任で、任期が終わるとまた日本へ戻っていく方ばかり。日本から「出向」という形をとっている方がかなりいるようです。そのため、僕のように国際機関を渡り歩いて、たまたまウィーンに舞い降りたような人はほんのわずかしかいないため、話をした方々からかなり珍しがられました。

引っ越し荷物

前回の引っ越しはアメリカからドイツでしたので、荷物の搬送は船便と通関手続きなど含めて所要6週間かかりました。(その前の日本~フランス、フランス~アメリカも似たようなものでした)

今回はEU内(シェンゲン域内)のドイツからオーストリア。国境でのパスポートチェックがないだけでなく、税関もありません。国内の引っ越しと手続きは何ら変わらないのです。税関書類なしで、家から家へトラックで直接搬送。トラックは実際には2日でウィーンに届きますが、荷物の持ち主である僕たちがそのスピードについていけないため、実際には所要4日の搬送です。

外国へ引っ越しというと、「引っ越し準備で忙しくて大変でしょう」、なーんてみんなに言われましたが、我が家にとっては実は今回が一番楽チンな引っ越しでした。

ウィーン勤務スタート!

ウィーン勤務2日目。たった今職場のメンバーが企画してくれた歓迎会から帰ってきたところです。

初日の朝、国連キャンパスにつくと、入り口にあるセキュリティオフィスで契約のオファーレターとパスポートを見せ、3年有効のIDカードを作ってもらいました。そして晴れて職員として建物に入り、最初に行った先は人事部。

これまでメールでやりとりしていた担当者と会い、正式な契約書にサイン。その後、約1時間に及ぶブリーフィングを受け、昼前には所属部署に着きました。職員数は機関全体で2000人で、その中のIT部門は100人のスタッフを擁します。ITのディレクターとすぐに面会し、にこやかに握手。最初に聞かれた質問は、

「君は何の楽器ができる?」

なんでも、部門の中の有志でバンドを組んでいるらしく、ディレクターもそのメンバーなんだとか。すっかり和やかな雰囲気になった中で会話が弾み、最後に、

「ところで来週月曜日に、四半期に一度の部門全体ミーティングがあって、その中で君のスピーチのために20分間リザーブしてあるから。」

と捨て台詞のように去っていくディレクター。ちょっと待ってよ、20分?と唖然としていると、ディレクターの秘書が「冗談ですよ!」と教えてくれ、遠くで「わっはっは」と、ディレクターの笑い声。とてもユーモアがありやりやすそうなディレクターのようで安心しました。

個室のオフィスをもらい、もらったばかりのEメールのアカウントにアクセスすると、空っぽのメールボックスに入ってきた記念すべき最初のメールが、僕の歓迎会の通知!という訳で、勤務2日目の今日、仕事帰りにみんなで飲みに行ってきたのでした。

滑り出しは上々です。

さようならBonn

先週いっぱいで、3年半にわたるボンでの仕事を終え、明後日のウィーン赴任に向けて準備をしています。

部内で送別会を開いてもらったり、お別れの挨拶をみんなにしたりしても、本当にボンを去るという実感が湧かなかったのですが、金曜日にオフィスを空っぽにし、国連IDやアクセスカード類を一式返してしまうと、こみ上げてくるものがありました。


sP9250890_20090928214415.jpgディジタルフォトフレーム
同僚からのプレゼント

ウィーンでの新しい生活と仕事への大きな期待と、ほんの少しの緊張感の入り混じった感覚が何とも心地よいです。では行ってきます。

さようなら、ボン。

車でウィーンへ

引っ越し準備のために再びウィーンへ行ってきました。今回は一人で、しかも車で!


大きな地図で見る

ボンとウィーンの道路距離は約900キロ。高速道路の接続がとてもいいので、計算上は8時間強で着く距離ですが、、、そんなことが僕にできるはずはなく、1日で行くのはちょっとやめておきました。途中、国境近くのドイツ最後の街パッサウで1泊し、翌朝はまだ暗いうちから出発して、ウィーンには朝のうちに到着。大家さんとの約束の時間に家の前で落ち合い、鍵の引き渡しをしてもらいました。

新しい家の入居日というのはやはり興奮しますねぇ。でも感動を分け合う家族が一緒でなかったので、ちょっと残念。国をまたがった引っ越しは過去に何回もやってきましたが、今回ほど用意周到に事が進んだことは今までにありません。やはりお隣の国というのは楽ですね。距離が近いだけでなく、いろんなものの手続きの仕方もドイツと似ているので、行動に自信が持てるというのでしょうか。

さて、4日間新居に滞在し、今は車でボンに戻る途中です。ウィーンから600キロ来たところで、名もない村の民宿に一泊。35ユーロで清潔な広い部屋、朝食つき、WiFiアクセスポイントは使い放題、と申し分なし!というわけで、今これを書いています。

海外在留邦人数

外務省のサイトに、海外在留邦人数調査統計という資料があります。在留邦人数とは、「永住者」と「3カ月以上の長期滞在者」の両方を合わせた数のことだそうです。

どうしてこんな資料を見たかというと、ドイツとオーストリアに住む日本人の数をちょっと比べてみたかったから。結果は、

ドイツ    35,661人
オーストリア 2,188人
(2008年10月現在)

全人口はドイツが約8千万で、オーストリアが約8百万。オーストリアはドイツの10分の1です。ということはオーストリアの邦人数は人口比でかなり少ないということがわかります。そしてこの邦人2千人の内訳は、女性が男性の2倍と、女性が数で圧倒しています。アジアの邦人男女比とは正反対なのですが、これはどうしてでしょうね。

ところで、日本が恋しくてこんなことを調べているわけではないですよ。ウィーンには全日制の日本人学校はあるのに、日本語補習校がないのはどうしてか、なんて調べていたらたまたま統計に出会ったのです。

あ、日本が恋しくないというのはやっぱりウソです。ラーメンや日本食だけは恋しくなります。ウィーンにもデュッセルドルフのようなおいしいラーメン屋はあるのでしょうか?

賃貸契約書

今回見つけたウィーンの住宅は、国連のハウジングサービス経由で契約しました。ハウジングサービスを利用する時の利点は、物件の情報が英語で検索できるというのがまず第一ですが、さらに、契約書がドイツ語と英語の両方で作ってもらえるということです。

昔住んだフランスではフランス語の契約書、今ドイツではドイツ語の契約書でやり取りしなければならなくて少し不安があったのですが、今回は本当に安心。

国連オフィスは世界中にありますが、住宅探しのサポートがウィーンほど充実している場所は他にはあまりないでしょう。ニューヨークでもこんなサービスはなく、自力で探してかなり苦労したものです。将来ウィーンのオフィスに転勤する予定の方、どうかご安心を。

続・在外選挙

続きです。他の先進国の在外選挙制度はどうなっているかというと、概ね日本と同じ。ただ選挙人登録の手続きや、投票方法などはもっと簡素化されている国が多いみたいなので、もっと投票率は高いのでは?

ところで、さっきの記事で僕が不満を漏らした選挙区については、ドイツをはじめ「最終居住地」を在外者の選挙区とする国が多い中、イタリアとフランスはユニークです。なんと、在外選挙のための、「海外選挙区」なる独立した選挙区が存在します。

海外選挙区とはかなり大胆な制度ですが、日本だって在外邦人100万人時代、在外有権者数でも今回の衆院選では80万人以上いるとされています。小さな県なみの人口はあるわけですから、いつかはそんな時代が来るかも知れません。。。

在外選挙

海外生活はもう10年になりますが、恥ずかしながら在外選挙というものに今回初めて行ってきました。いままでどうしていかなかったんだろう?何回かチャンスはあったはずですが、「在外選挙人証」というものを取得していなかったり、取得してからも紛失してしまったりとツキがなかったのです。

ボン在住者の場合は、70キロほど北にあるデュッセルドルフの総領事館で投票することができます。同僚から、「おっ、国民の権利を行使しに行くんだな!」なんて言われて見送られ、車でデュッセルへ。今回はしっかり在外選挙人証を持って、夫婦そろって無事投票できました。

日本の在外選挙の歴史は比較的短く、2000年から初めて実施されるようになりました。でもこれまでは比例代表への投票だけだったのですが、2007年以降小選挙区への投票もできるようになり、今回衆院選としては初めて比例と小選挙区の両方へ海外から投票できます。この公職選挙法の改正が実現したのは、まだ記憶に新しい2年前の裁判で、在外邦人の選挙権の一部が認められないのは違憲という判決が出たことによるものです。

この判決は在外邦人にとっては喜ばしいニュースですが、実際に投票してみて一つ不満が。在外選挙人証の発行元が、日本国内の最終居住地の市区町村の選管ということになっているので、小選挙区はその市区町村の属する選挙区ということになります。僕は民間企業勤務時代には千葉県我孫子市という所に住んでいましたが、10年たった今、その土地には家族や親戚はいないし、まったくなんのゆかりもありません。できれば、実家のある長野県内の選挙区に投票したかったので、これにはちょっとがっかりしました。

在外選挙がなかった時代と比べたら、大きな前進なので、文句ばかり言うわけにはいきませんが、制度的にはさらにあと一歩前進してほしいものです。

さて無事に投票を済ませた後は、ここはインマーマン通り。もちろん「オストの肉屋」でしゃぶしゃぶ用肉を買い、「松竹」で日本食材を買い、「」でラーメンを食べ、家族全員ご満悦でボンへ帰りました。

日本の野球チームを応援しよう!

遠征の日程変更により、残念ながら下記のボンでの試合は中止になりました。
福岡選抜チームの皆さん、またいつかお会いしましょう。ヨーロッパ遠征を存分に楽しんでくださいね。8/21




ボン在住の方へお知らせです。

去年に引き続き、今年もまた中学軟式野球の福岡選抜チームがボンにやってきます!去年の試合の様子はこちら

少年軟式野球国際交流協会(IBA)の主催で、選抜チームがヨーロッパに10日間遠征します。その中、8月23日(日)の午後2時から、ボンのRheinaue公園の野球場で、地元ノルトライン・ヴエストファーレン州チームと試合が組まれています。ボンの皆さん、ピクニックも兼ねて一緒に応援しに行きましょう。


IBA


福岡選抜の皆さん、どうかお気をつけてヨーロッパへいらしてください。またチームの皆さんの元気な姿を見られることを楽しみにしています。

福岡選抜公式ブログ

英語が苦手?

ウィーンで何軒か見て回った家のオーナーは、不動産屋ではなくて個人オーナーでした。オーナーたちが、僕たちに会うと必ず最初に言った言葉が、

「英語が下手ですが我慢してください。」

でした。初対面の挨拶の決まり文句かのように、みんな謙遜してそう言います。が、話してみるとそこそこしゃべれるから驚きです。こういうところ、ドイツと似てますねぇ。

本当に英語が苦手なオーナーは、10代の娘や息子をつれて、家の案内に来てくれました。学校教育の内容が違うんでしょうか。若い世代は英語が上手で、お父さん(オーナー)の説明をせっせと僕たちに英語で伝えて、通訳をしてくれました。

家を借りる前に、大家さんがどんな人たちかわかるというのは、助かります。借りることにした物件の大家さんは、医科大学勤務の女性でとても信頼がおけそうな方。子どもたちが巣立って、夫婦2人で市内のアパートに引っ越し、家を貸し出したのが1年前。カナダ人の家族が1年間の駐在に借りていた後を継ぎ、うちが2組目のテナントだそうです。

さて、他に見学した物件は断らなければならなかったのですが、一生懸命対応してくれた何組かの親子の顔を思い出すと、なんだか断りのメールを出すのが申し訳ない気になりました。

ウィーンの国連でも原爆追悼式典

8月6日の夕方にはウィーンの市内で原爆追悼式典が催され、翌日7日には国連の敷地内でも式典が行われました。僕はまだ異動前なので部外者ですが、たまたま家探しで国連のハウジングサービスを訪ねている最中に、式典が始まったため、職員に混ざって黙祷を捧げました。


原爆追悼


ウィーンの国連キャンパスには、国際原子力機関(IAEA)と包括的核実験禁止条約機関(CTBTO)という、原爆の歴史と強い関係のある機関があります。そのため、この場所で式典には、とても強いメッセージ性があるわけです。式典を通じて、自分がこれから属する機関の役割について、あらためて噛みしめることができ、いいウィーン滞在となりました。


平和の鐘
平和の鐘

折り鶴の道
折り鶴の道

世界一広いプラットホームか?


Praterstern


この写真は先週末にウィーンで撮った、プラーターシュテルン駅(旧ウィーン北駅)のS-Bahnのホームです。幅が広くてゆったりしていると思いませんか?週末の間、この駅で乗り換えるたびに、ホームの広い空間に感動しました。これまで世界中のいろんな都市で利用したことのある全ての駅の中で、おそらく一番幅が広いプラットフォームだと思います。世界一かどうかは知りませんが。。。

ちなみにインドには世界一「長い」プラットホームがあるそうで、その長さは800メートル以上だとか。ホームの一番先頭で待ち合わせ、なんて気楽にできそうにありませんね。

ウィーンで家探し

ウィーンへ3泊4日で学校見学と家探しに行ってきました。

飛行機で1時間半の距離、近いって言うのはいいですね、気楽に行けて。なぁんて油断をしていたら、、、、なんと、生まれて初めて飛行機に乗り遅れるという失態を演じてしまいました。朝6時50分発のGermanwingsのフライトだったのですが、10以上あるチェックインカウンターのうち稼働していたのがたったの2か所。バケーションシーズンの長蛇の列をたった2人でさばき切れるはずもなく、飛行機に置いていかれる乗客続出。うちの家族もその仲間入りしてしまいました。トホホ。

午後の便に振り替えてもらい、到着は夕方近くだったので、初日のアポはすべてキャンセル。気を取り直し2日目。

無事学校見学を済ませ、家の見学も始めました。事前に2週間かけて、インターネットで物件を綿密に下調べした成果が報われ、3日間の間に希望の家が見つかりました。無駄な旅行にならずに、本当に結果を出せてよかった。。。失敗に学び、帰りのフライトには誰よりも早くチェックインしたことは言うまでもありません。


家探しが終わり、一息。ドナウタワーからの国連ビルの眺め。
ウィーンの国連ビル


反対側の景色は住宅地。この中の一軒が我が家です。
ドナウタワーからの眺め


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プロフィール

mickey10044

Author:mickey10044
男性。1999年より国連職員。

インド、ジュネーブ、ニューヨーク、ボン、ウィーンを経て、現在はイタリア・トリノの国際機関に勤務。IT部門のチーフ。PMP,CISSP。

mickey10044#hotmail.com
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