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2006年を振り返る

今年感じたこと。それは生活に変化は必要だということ。

6年前にフランスからNYに引っ越したとき、NYは2~3年の仮住まいのつもりでしたが、結局5年も滞在しました。その間、仕事はうまくいき、近所付き合いも充実し、すっかり居心地が良くなった中での、ドイツ転勤の決断でした。

引っ越した当初、ボンには知り合いが一人もおらず、新しい仕事にも慣れず、言葉に苦労したりと、NY住まいの心地よさを思い出すことが何度もありました。それでもやはり来て良かったです。自分の置かれている環境が大きく変化すると、それまでに自分がどれだけ成長できたか、逆に何が不足しているか、また自分はいったい何をしたいのか、家族をこれからも守っていけるのかなど、何度も何度も考える機会がありました。9カ月経ってもまだ考えがすっきりしたわけではなく、モヤモヤしていることも多いのですが、でもこれはやはり自分には必要でした。でなければNYで根っこが生えていたでしょう。

2007年は、第二子出産から始まり、また変化に富んだ年になりそうです。

今年、ブログに足を運んでくださった皆様、本当にありがとうございました。2007年が皆様にとってすばらしい一年になりますように。
- Mickey


◆◆2006年ブログ総集編◆◆

継承語教育

■ニューヨークからボンへ
子供の学校の問題
アパートを解約する難しさ
別れ
礼儀正しい訪問者
ドイツに着きました!/Iさんのこと


■ドイツを知る・楽しむ
水の硬度って?
Frohe Ostern! (ハッピー・イースター)
Go!ボン・キャピタルズ!(野球のブンデスリーガ)
Suomi って何語?
ケルンとデュッセルドルフは永遠のライバル
日本語補習校
ビールはビール工場の煙突の見える所で飲め
部屋の片付け、お客様が来る前にしますか?それとも帰ってから?
アウトバーンのスピード
ワイン生産の北限
聖マルティン祭の提灯行列
家から閉め出される
Weihnachten - ドイツのクリスマス

■旅行記
ケルンの温泉
ライン河畔の街リンツ
マルタ戦を見てきました(デュッセルドルフ)
W杯 スウェーデン対トリニダード・トバゴ(ドルトムント)
コブレンツへドライブ
国境の街アーヘン
ルクセンブルクに住んでみたい
街の第一印象 ブリュールとボン
アイフェル山地・モーゼル川旅行
息子の願いが叶う・機関車トーマス(オランダ)
ピサにて
アクア・アルタ(ベネチア)
りんご祭り
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静かに過ごすクリスマス

街が賑やかなのもクリスマスマーケットがあった先週金曜日まで。このクリスマスの週末4連休(国連は3連休)の間、街は実に静かなものです。こちらではクリスマスは家族で過ごすものと相場が決まっていて、店などはすべて閉まっています。

我が家ではサンタから息子にプレゼントが届いて、息子が窓から空に向かってサンタに大声でお礼を言ったりしましたが、それ以外はクリスマスらしい特別なことをせず、静かな週末でした。

おかげで本を4冊も読みました。読書家の人は一日に何冊も読むそうですが、僕は一冊をちびちびと何日もかけて読む方なので、週末の間に4冊というのは結構多いほうです。個人的にはとても良い週末でした。人と会ったり、旅行やイベントに出かけるのも楽しいですが、こんな週末もたくさんあるといいなぁと心から思います。

ところで、塩野七生のローマ人の物語の完結版が発売されましたね。完結版どころか第一巻すら読んでいないのですが、ちょっと気になっています。単行本で15巻、文庫本だと全巻出そろう頃には30分冊ぐらいになるのでしょうか。そんな時間ないかなぁ。。他にも読みたいものたくさんあるし。

Tomorrow Never Dies

Der Morgen stirbt nie

007シリーズのタイトル「Tomorrow never dies」を、ドイツ語ではこう言います。

でも、ドイツ語のder Morgenは「」という意味の男性名詞。これでは、Morning never diesではないですか。

ちなみに小文字でmorgenと書けば、「明日」という意味になりますが、副詞なので冠詞derがつくことはありません。

ドイツ語の先生に聞くまで知らなかったのですが、中性名詞のdas Morgenというのもあるそうで、これは「将来、未来」という意味だそうです。ならばこれを使って、Das Morgen stirbt nieとすれば良さそうなものですが、いったいどうして....誤訳?まさか....

Weihnachten - ドイツのクリスマス

クリスマス(Weihnachten)は、その昔、キリスト教における最も重要な礼拝式の祝宴で、丸一週間(Weihnachtsoktave)か、それより長い期間(12月25日から新年の1月6日までの12日間)を通して祝う習慣がありました。現代のドイツのクリスマスは2日半のみで、クリスマスイブの昼すぎには店が閉まり、25日と26日は祝日とされています。(もちろんクリスマスまでの1カ月間はクリスマスマーケットが賑わったり、子供達はサンタから12月上旬には既にプレゼントをもらったりと、イベントはたくさんあります。)

クリスマスの伝統には実にいろいろなものがありますが、そのほとんどは地域色の強いものです。中でも最も有名なものは、ドイツのクリスマスツリー(Weihnachtsbaum)です。宣教師達がゲルマン民族に新しい宗教を説いたときによく行った方法は、その民族の伝統にもとづいた風習と新しい信仰とをうまく融合させることでした。その代表的な例はゲルマン民族の地母神ヘルタ(Hertha)の象徴としての「松の木」で、当時、女神ヘルタを迎え入れるために松の枝を家に飾るということは普通に行われるようになりました。これが、「Herthaの松の木」から「クリスマスツリー」へ移り変わる第一歩でした。時が過ぎて、ろうそくの値段が安くなると、家族の人数分だけロウソクを木に飾るようになります。クリスマスツリーは生命の象徴だったので、その他の生命の象徴とされていたもの、例えばりんご、木の実、梨、クッキーなども飾るようになりました。ただし、これらの飾りは重かったので、後の時代にはガラス製のくるみ、りんご、松ぼっくりなどに置き換えられました。

ドイツの東部では、Weihnachtspyramide(クリスマスピラミッド)と呼ばれる飾りをよく見かけます。ろうそくの炎の熱で空気の対流がおこり、飾りの上部についたプロペラが回り、それに合わせて、下部に並んだ人形や飾りがぐるぐる回る仕組みです。(12年前に結婚したとき、ドイツ東部の友人達がこのクリスマスピラミッドをプレゼントとして日本に送ってくれたことがありました。そのときは由来など知りませんでした。)

20070610233557.jpg
【写真:巨大Weihnachtspyramide、ボンにて】

クリスマスには、もともとプレゼントを贈る習慣はなく、19世紀になってやっと定着したそうです。起源はというと、遡ることローマ帝国時代、新年のcalends祭りのために年末に行ったプレゼント交換であると言われています。中世には、年末に王や領主が農民や召使いに対して食料や衣類などをプレゼントしていました。これらのプレゼントは当時給料の一部と考えられていました。後世には、教会の教父がその役回りを受け継ぎました。そしてその風習が年末であったことと、クリスマスが年末に近かったため、徐々にプレゼントを渡す日がクリスマスの時期に移っていったということです。

ドイツでも報道される日本の「Ijime」 - いじめ問題

日本で問題になっているいじめによる自殺のニュースは、こちらドイツでも報道され、関心を集めています。

【記事のリンク】
シュピーゲル誌
Die Presse誌
ARDテレビ
ディー・ヴェルト誌

「Ijime」という単語がそのまま紹介されているのが印象的です。もちろんこちらドイツの学校でも、いじめは存在するのでしょうが、あまり自殺が多いという話は聞きません。ドイツの学校環境の日本との違いは:

 ・1クラスの人数が小さいため、児童一人一人に注意が行き届く
 ・学校からの帰宅時間が早く、家族と過ごす時間が長い
(公立校の場合。インターは別)
 ・学校以外の地域の活動が多い

と言ったところでしょうか。パッと見てわかりやすい範囲で挙げただけですが、これは大きな違いのような気がします。

たとえば、2つ目の3つ目は、言い換えれば子供が学校以外にも居場所があるということ。たまたまクラスで一時的にうまく行かないことがあっても、他にも自分が所属している場所(家庭や地域活動)があり、そこで自分が周りから認められた存在であれば、心の支えになり学校での苦境を乗り越えやすいのでは。学校という場所が子供にとっての閉鎖環境になっていなければ、いじめをする側とされる側両方が悪いサイクルに陥らないのではと感じます。

僕も小学校の時に、同級生にいじめられたこともありました。今考えてみれば、放課後参加していた、地域の軟式野球チームに救われたのだと思います。そのチームは学校とは独立したチームだったので、クラスで起こった嫌なことはチームに行けばリセットすることができたからです。県大会で優勝するような強いチームだったので、僕など万年補欠でしたが、それでも今思えば、僕にとって大事な居場所でした。

うちの5歳児は、毎日無邪気にインターに通っています。いつかいじめに悩んだりするときが来るのでしょうか。そういう事態になったときに、気付いてあげたり、理解してあげたり、守ってあげたりするのも親の役目かも知れませんが、それ以前に学校や家庭以外にも地域と接点のもてる子供の居場所を作ってあげること、自分を認めてもらえる場所や機会を多く与えてあげることも大事かなぁなどと考えています。


子供のために転職する

一昨日お会いしたドイツ人と日本人のご夫婦の話。1歳半の娘さんは、日独2重国籍を持ち、父親とはドイツ語、母親とは日本語を話すそうです。ご夫婦は、まだ小さな娘さんに日本語を習得させ、日本の文化や風習に触れさせるために、日本に引っ越したいと前から考えていたそうです。

ドイツ人のご主人は、今の会社の転勤で日本に行くことも可能だったそうですが、それだと滞在期間はせいぜい2年。またすぐにドイツに戻ることになり、それでは子供のためには短すぎるという結論になったそうです。

そしてどうしたかと言うと、なんと今いる会社を離れ、ドイツ企業の日本法人に転職し、日本に本格的に長年住む決断をしたそうです。今日話してみましたが、とても誠実そうなご主人でした。娘さんのことを本当に思って、自分のキャリアにこんな大胆な修正をかけるというこの話を聞いて、とても感動しました。なかなかできることではありませんよね。

テーマ : 海外生活
ジャンル : 海外情報

「ユニセフ・カンボジア事務所で働く~国連若手職員の3年間」

7年前、僕はJPO(ジュニアプロフェッショナルオフィサー)として国際機関で働いていました。そのときの同期(99年度派遣の日本人JPO)の一人が、先月本を出版しました。

彼女はユニセフ・カンボジア事務所のJPOとして、3年間、識字教育と保育所に関するプロジェクトを担当。その時の体験をきちんとまとめ上げたのが、今回新刊の「ユニセフ・カンボジア事務所で働く~国連若手職員の3年間」という本です。

この本を読んでみて、感じたことは:

■カンボジアの現状が数十年前の歴史をそのまま引きずっていて、まだ痛々しい傷を残していること。そして、その前提を克服しなければならないという点が、ユニセフのすべての活動のスタート地点になっていること。考えてみれば当たり前のことかも知れませんが、僕にとっては、「ポルポト時代」「UNTAC」「前回の総選挙後の政治の安定」などはニュースを通じて知っている「点」の知識でしたが、実際に現地で国際機関が、どういう風にその歴史と関わっているかというイメージが初めて沸き、勉強不足の僕にとっては、純粋にとても勉強になりました。

■改革には時間がかかるという点。限られた任期の間には、組織やプロジェクトの枠組みの改革の進行が目に見えなくても、後任の世代にそのモーメンタムを残してあげられることは十分に可能であるということ。これはとてもしんどいことだと思います。彼女のように自分がオフィスを去った後も、その後現地のユニセフの運営がどうなっているか見守る姿勢はすばらしいと思いました。

■ 「電話やパソコン、テレビ、新聞などはないため、彼らにとっては近所の人たちとの噂話がもっとも重要な情報源なのである。そういう彼らと同じ時代を生きていることを思うとき、とても不思議な気持ちになる。」というくだり、印象的でした。自分たちとちがう境遇に置かれた人たちがいるということを知り、不思議に思い、自分に何かできないかと立ち上がることが国際協力の基本ですね。僕のように先進国ばかりで、本部の仕事を続けていていると、忘れてしまいがちな原点です。

彼女と最後に会ったのは、JPO合格後の派遣待ちのメンバーが東京で集まった時でした。その頃は、派遣先機関や国がどこになるのか、どんなポストをオファーされるのか、とみんな心配している頃だったので、一緒に飲みに行ったりすると話が尽きませんでした。その後彼女はカンボジアへ、僕はジュネーブへと、皆それぞれの機関や国へ散らばっていった訳です。

ご主人のとても暖かい理解に支えられて任期を終え、このように後に形を残すことができて、本当に有意義なJPO体験だったことでしょう。「同期」としてとても誇りに思います。出版おめでとう!

テーマ : 海外で働く
ジャンル : 就職・お仕事

絵葉書

Eメールや携帯などがこれだけ便利になると、切手を貼って手紙をポストに投函するというようなことは、ほんの少し面倒なだけなのに、全くやらなくなっている自分に気がつきます。

今日、ボンの街を歩いているとき、雪化粧をしたボン旧市庁舎の絵葉書を見つけて、一目で気に入って何枚か買ってしまいました。

家に帰って、20年近く前にアメリカでホームステイしたときのホストファミリーに宛てて、さっそく買ったばかりの絵葉書を使って短い手紙を書いてみました。手書きでメッセージと相手の住所を丁寧に書く。ネットの時代だからこそ、たまにはいいものですね。

さあ、あとは誰に書こうか。。

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短期雇用契約

4月からボンの機関で働いていますが、これまでの9カ月間に、自分の仕事に直接関係のある人が4人も機関から去っていきました。直接仕事上やりとりの多い人なんて、まだ全部合わせても40人ぐらいしかいないのに、その中の4人とはちょっと多いかなぁと感じます。同僚たちは、職員の入れ替わりが激しいのには慣れっこの様ですが、僕にとっては今までの職場と違うのでちょっと驚きました。

国際機関は契約社会であることはもちろんわかっていますが、それも度が過ぎると業務の継続性にも影響がでるし、何にも増して職員自身のモラルの低下が起こるのではと心配になります。

仕事の成果もそれなりに残していて、本人は継続を希望している中で、契約が更新されないという状況はきっと辛いでしょうね。家族もいるでしょうし、ドイツで働くためのビザもなくなってしまうのでしょう。厳しい現実だなぁと、ため息をついてしまいます。


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プロフィール

mickey10044

Author:mickey10044
男性。1999年より国連職員。

インド、ジュネーブ、ニューヨーク、ボン、ウィーンを経て、現在はイタリア・トリノの国際機関に勤務。IT部門のチーフ。PMP,CISSP。

mickey10044#hotmail.com
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