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ドイツ短期留学体験(2) アエロフロート・ロシア航空

東西ドイツ統一後まだ間もない1992年の夏に、旧東ドイツのケムニッツ(Chemnitz)という街で、大学院の研究生として2ヶ月を過ごしたときの話。(ずいぶん昔に個人サイトに掲載した記事の転載です)

●アエロフロート・ロシア航空


少し前まで「アエロフロート・ソビエト航空」と呼ばれていたこの航空会社の格安航空券を買って、ドイツに旅立ちました。成田を飛び立ち、機内でドイツ語会話の参考書とにらめっこしていると、あっという間に夜中人気の少ないモクスワの空港に着きました。

 たかが空港とは言え、「冷戦が終わったばかりのモスクワ」というだけで、当時学生だった自分には充分刺激的でした。トランジットの待合室を行き来する人の中には、東欧旧ソ連の中央アジアの国々の人達が多く、独特の雰囲気を醸し出していました。

 フランクフルトへ向かう飛行機の中では、ちょっとしたハプニングが。乗客が全員機内に入ったところで、機体の真中あたりの乗客が自分の座席がないと騒ぎ出したのです。座席番号が書いてあるのに「座席がない」とはどういうことか。こんなとき、JALのスチュワーデスだったら親身になって、世話をしてくれるというものなのに、哀れこの乗客は、ロシア人スチュワーデスに怒られていました。

 「搭乗券に座席番号が書いてあるでしょ。そこに早く座ってくれないと、飛行機が離陸できません!」と。

 原因は、一番後ろの席に座った人が間違えて一列前に座ってしまったため、そこから真ん中のあたりの列まで全員一列づつずれていたのです。前半分に座っていた人は正しい番号のところにすわっていたので、真ん中の一列がすっかり消えてしまったという信じられない現象。

 呆気にとられてそのやり取りを見ていたら、となりのドイツ人が、「ロシアの国営航空会社には、まだ西側みたいなサービスの概念がないのさ」と説明してくれました。後に聞いた話では、アエロフロートはルフトハンザのサービス教育などを導入し、サービスの質がかなり向上したという噂も聞きます。この目で確かめてみたいものです。

つづく


チケットが来たー!

ついにFIFAからメールが来ました!

条件付きチケット販売に応募して待つこと1ヶ月、長かったですねぇ、もうほとんどあきらめてました。待ったかいがあって、大会2日目のスウェーデン対トリニダードトバゴ戦(於ドルトムント)のチケット3枚が割り当てられました。

それにしても、チケット割り当て確定のメールが来たのが、試合日のたった2日前。仕事のない日の試合で本当によかったです。

さて、FIFAから家に来たのはメールだけで、チケットが手元に届いたわけではありません。試合当日に、ドルトムントのスタジアムでチケットを受け取るというオプションもあるのですが、6万人収容のスタジアムの大混雑の中で、家族を連れてそんなことをしたくないので、事前に最寄りのW杯スタジアムのあるケルンで受け取ることにしました。


メールが来た木曜日の夕方、添付されていたFIFAの確認証をプリントアウトして、車をとばしてケルンへ。ケルンのチケットセンター前はなんと長蛇の列。みんな同じメールのプリントアウトを片手に並んでいました。3時間立ちっぱなしで待ってやっと入手した貴重なチケットがこれ。ちゃんと自分の名前も印刷されています。
 
サッカー専用スタジアムのカテゴリー1の席なので、きっと眺めは最高でしょう。アメリカ大会で3位に入った伝統国スウェーデンの試合、そして生のワールドカップの雰囲気、わくわくします。


ドイツ短期留学体験(1) カール・マルクスの街

東西ドイツ統一後まだ間もない1992年の夏に、旧東ドイツのケムニッツ(Chemnitz)という街で、大学院の研究生として2ヶ月を過ごしたときの話。(ずいぶん昔に個人サイトに掲載した記事の転載です)

●カール・マルクスの街

 ドイツに旅立つ数ヶ月前、ボンにある受け入れ調整機関から、旧東ドイツの大学への受け入れ決定のレターが日本に届きました。

「ケムニッツ?」さっそく、高校時代に使っていた地図帳のヨーロッパのページで、「ケムニッツ」という街の場所を探したが、これが見当たらない。しかたなく、比較的新しい旅行ガイドブックの地図で探してみると、チェコとの国境の近く、ザクセン地方の真中にその名前はありました。どうやらそれなりに大きそうな街らしいけど、それならば何故地図帳の上で見つけられなかったのだろう?首をかしげてもう一度ページを開いてみて、一つのことに気がつきました。ケムニッツのあるはずの場所に別の街の名前が書いてありました。


カール・マルクス・シュタット。。。。




シュタットとは英語のCityのこと。つまり、旧東独時代は、「カールマルクスの街」という意味の名前で呼ばれていたのです。統一後、街そのものの名前が変わってしまったのだそうです。その他にも東ドイツ時代の道路の名前などもかなり変えられてしまいました。ただ街の真中に残る、カールマルクスの像だけは、堂々たる威風を放っていました。この像はこの先も歴史の証言の一つとして、保存され続けるのでしょうか。

つづく


日本語

最近ちょっと息子の日本語が下手になった気がします。息子がドイツに来てから1ヶ月半が経ちましたが、その間英語がメキメキ上達していることにちょっと安心していたら、その反動で日本語がちょっとたどたどしくなってきました。

本当はもっと早く気がつくべきだったのですが、息子がちょっと英語混じりの日本語をしゃべっていても、あまり違和感を感じなくなっていたようです。われわれ親も、この辺の感覚が麻痺して来たんですね。まずいまずい。

NYにいたときは、近所に日本人の友達がたくさんいたし、妻が近所のコミュニティーセンターで開講していた幼児向け日本語クラスのお陰もあって、日本語はまったく問題ありませんでした。

つい数ヶ月前まで、息子の英語力がないことをちょっと心配していたのが、まるでうそのようです。早く日本人の友達を作ってあげないといけないなぁと実感しています。

それにしても、子供の言語力は習得力も早いけど、忘れるのも本当に早いですね。

ボン国連キャンパス移転プロジェクト

現在ボン市内に点在している、10以上ある国連機関のほとんどが、まもなく新しいビルに集結します。旧議会オフィスのあったランガー・オイゲンというビルを、ドイツ政府が国連に提供することが数年前に決まっていたのですが、ついにその移転プロジェクトが実行されることになりました。

我がITチームは、UNVや関連機関の情報システムとサービスを、新キャンパスへ移行するプロジェクトを担当しています。難しいのは、家の引っ越しの時と違い、移転の前後に何日もITを止めることができないということ。人と物が週末に新しいビルに移ったら、移転先でもこれまで通りのITサービスがそのまま継続的に得られることが期待されているのです。

project

日本人の皆さん、ライン川へ飛び込むのはやめてください

デュッセルドルフ・ケルン・ボン地域の大衆紙「EXPRESS」に、サッカーW杯の日本人サポーターに関する記事が掲載されました。記事のタイトルは「Japaner, springt nicht in den Rhein ! (日本人の皆さん、ライン川へ飛び込むのはやめてください)」。

2002年の日韓ワールドカップのチュニジア戦勝利後に、サポーターが道頓堀に飛びこんでとても危険だったことを紹介し、ドイツワールドカップで同じことをもしライン川でやったら大変だという内容。

ボンで日本がこれだけ注目を集めるのは、良くも悪くも今回が恐らく初めてのこと。いい印象を残してワールドカップを終わりたいものですね。



ウィキペディア

フリー百科事典のウィキペディア(Wikipedia)をよく利用しています。このサイトが好きな理由は、言葉の定義に留まらず、その歴史的な背景や関連事項・事件の説明などが充実していることと、多言語事典であるということです。

その多言語具合ときたら、半端ではありません。「ウィキペディアが提供されている言語の総覧」によると、今日現在、ウィキペディアは228言語で情報が提供されているそうです。インターネットによって、英語のグローバル化に拍車が掛かっているとよく言われますが、ウィキペディアのように、少数派の言語までしっかりサポートしているサイトというのはすばらしいですね。

この言語の一覧は、記事数の多さによるランキング順になっています。上位10位は以下の通り。

1位 英語
2位 ドイツ語
3位 フランス語
4位 ポーランド語
5位 日本語
6位 オランダ語
7位 スウェーデン語
8位 イタリア語
9位 ポルトガル語
10位 スペイン語


ヨーロッパの言語に混ざり、アジアの言語としては日本語が健闘しています。ポーランド語が多いというのはちょっと意外ですね。上位10位は全て10万記事以上を擁する「活発な」言語で、その後をロシア語や中国語などが続きます。エスペラント(人工語)が15位に入っているというのも興味深いですね。エスペラントで記事が書ける人が世の中にはそんなにいるんでしょうか。

200位以下の言語はというと、、、オロモ語、タヒチ語、ブギズ語、アッサム語などが並び、それぞれ記事数が10に満たない言語です。「消えゆく言語」の話を思い出しますが、やはりその言語でどれだけの情報が得られるか、例えば本、新聞、テレビ放送などがあるかだけでなく、ネット上にどれだけその言語のサイトがあるかというのもその言語の存続に関わる死活問題になってくるのだと思います。

ウィキペディアには今後も期待したいですね。

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プロフィール

mickey10044

Author:mickey10044
男性。1999年より国連職員。

インド、ジュネーブ、ニューヨーク、ボン、ウィーンを経て、現在はイタリア・トリノの国際機関に勤務。IT部門のチーフ。PMP,CISSP。

mickey10044#hotmail.com
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