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出生届

「ドイツの役所仕事は遅いから、あまり期待しない方がいい」と周りから言われていましたが、これまでのところあまり悪い印象は持っていません。例えば、先月娘が生まれたとき、ボンの市役所宛てに出生届をする際、一度も市役所に出向かずに用が済んでしまいました。

生まれたその日に病院内の事務所に行くと、既に生まれた日時、体重、身長、それから親の名前、住所、国籍、電話番号などが記入された用紙が準備されており、あとは子供の名前や、両親の宗教などのデータを入力するだけで届出用紙は完成。あとは病院側で、パスポートと婚姻証明書のコピーと一緒に役所に送ってくれるのです。(ちなみに国籍や宗教の情報は人口統計に必要なんでしょうね。アメリカでは親の人種を記入する欄がありました。国によって様々です。)

3~4日すると、市役所から病院宛に、娘の出生証明書が送られて来たので、それを手渡しでもらいました。最初に出した出生届が、出生証明書の申請も兼ねていたのです。あまりの迅速なサービスに感動しました。

さて、このドイツの出生証明書をもとに、今度は日本に対して届け出をします。提出書類は日本の出生届用紙、ドイツの出生証明書とその日本語訳文で、それらをデュッセルドルフの日本総領事館に出すと、日本の外務省に一旦送られ、そこから戸籍のある市町村役場へ転送されます。子供が戸籍に記載されるのは提出後約1カ月後で、記載されたかどうか役所からは何の連絡もないので、こちらから電話などで問い合わせないといけません。昨日、本籍地に電話してみましたが、まだ出生届が届いてもいないと聞き、あまりの遅さにがっかりしました。

さて、戸籍に記載された後、パスポートを作るために戸籍謄本が必要になります。信じられないことに、総領事館の窓口では戸籍謄本の申請手続きができません。出生届とパスポート申請は窓口でできるのに、その中間に必要な戸籍謄本発行はできないとは。。。日本にいる家族などに取りに行ってもらい郵送してもらうのが一般的ですが、なんとも面倒くさいです。

海外で子供が生まれたら、出生届とパスポートの申請はセットで必ずするものなのに、この手続きが連動していないというのはどういう訳なのでしょう。せっかく在外公館で在留邦人向けの行政サービスができるしくみになっているというのに、改善の余地が大いにあると感じました。

ちなみに半年ほど前に、息子(アメリカ生まれ5歳児)の出生届をアメリカから取り寄せる時など、インターネットの役所のページで申請し、発行手数料をクレジットカードで払ったら、1週間以内にドイツに送られてきました。こうでなくちゃ。日本も頑張ってほしいなぁ。



【手続きのまとめ】

出生前
(1) 戸籍謄本を取り寄せる
(2) 総領事館で戸籍謄本を元にドイツ語版婚姻証明書を作成

出生後
(3) 病院にてドイツの出生届(パスポートと婚姻証明書も提出)
(4) 病院にてドイツの出生証明書を受け取る
(5) 日本語訳文を作成する
(6) 総領事館にて日本の出生届(ドイツの出生証明書と訳文も提出)
(7) 本籍地に戸籍への記載を電話で確認
(8) 再度、戸籍謄本を取り寄せる
(9) 総領事館でパスポートの申請をする
(10) 総領事館でパスポートを受け取る
(11) パスポートを元に、ドイツの身分証明書を申請(国連職員家族の場合)
(12) ドイツの身分証明書を受け取る

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ジョン・レノンの気持ち

1975年、オノ・ヨーコとの間にショーンが生まれると、ジョン・レノンは音楽活動を休止し、ハウス・ハズバンド(専業主夫)に専念すると宣言して、実際それを5年間も続けた話は有名ですね。まだ当時珍しかったハウス・ハズバンドという言葉が使われ始めたのは、このころだったそうです。

「子育てや家事以外に一体何をやっているのか?」と周りから質問される度に、「冗談じゃない。パンを焼いたり赤ん坊の面倒を見たりするのはフルタイムの仕事だ。」と言ったとか。本当に没頭していたんですね。

彼の気持ち、よーく分かります。子供を育てることほどすばらしい時間は他には考えられません。(なんて、昔の自分からは考えられないことを言っていますが...)これを母親だけに任せておくなんて、そんなもったいないことを。今、数週間の育休を父親が取れるだけでも幸せなことですが、もし家庭環境が許すならば、一生に一度ぐらい主夫生活というのもしてみたいものです。

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助産婦(Hebamme)が来た

ドイツでは普通、産後に退院してから、自宅にHebamme(ヘバメ=助産婦)が来てくれます。病院をさっさと退院して安心して自宅に戻れるのはこのためです。

入院中には産婦人科医と小児科医が母子を診てくれるわけですが、退院してしまうと母子ともに次の正式な医師の診察は、特に問題がないかぎり産後4週間後になります。ヘバメの訪問は、この間を埋めることができます。
うちの場合は、退院翌日から2日に一回、病院から紹介してもらったヘバメに来てもらっています。新生児の体重測定、健康状態のチェック、母体の回復具合のチェックだけでなく、授乳、産褥体操などのアドバイスもしれくれたり、産後の過ごし方や育児方法に関する相談にものってくれます。


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【写真:簡易型の秤で体重を量る】

このヘバメ、英語は1年間しか勉強したことがないらしく、ドイツ語の単語を織り交ぜながら英語を喋ります。「英語はあまり話せません」と断ってから来た割には、随分うまいので驚きました。ドイツ人は、しゃべれる人も謙虚にそう言うんですよね。

2回目の出産とは言え、専門知識などまったくないど素人の我々にとって、これは安心なシステムです。

入院食

今回の入院は最終日まで本当に快適でした。唯一マイナス点を付けるとすると、それは入院食。こればかりは日本の病院には敵いそうにありません。

病院 朝食

【朝食 ビュッフェ形式】
これは合格点。焼きたてパンがとてもおいしい。僕も一緒に食べましたが、おいしかったです。


病院昼食魚

【昼食1 白身魚】
昼食は毎日暖かい食事だったので、まあ良しとするべきか。


病院 昼食 チキン

【昼食2 チキン】


病院昼食スープ

【昼食3 野菜と肉のコンソメスープ】


病院夕食

【夕食】
問題はこれ。朝と同じく、パン、チーズ、ハムなど。毎日こんな感じで、暖かい料理はなく、ちょっと寂しい。お見舞いに来てくれた人も「えっ、これだけ?」と驚いていました。ドイツの一般家庭では夕食はシンプルなんでしょうか?

お義母さんにつくってもらったおにぎりを持っていったら、夕食後においしそうに食べていました。

日曜日の昼に、母子ともに無事退院しました。みなさんご心配いただきありがとうございました。

産後の入院日数

うちは日本で出産を経験していないので、日本との比較ができないのですが、聞くところによると、通常の出産でも1週間、帝王切開などすると10日以上も入院するそうですね。本当でしょうか?この入院日数の長さはきっと世界最長ではないでしょうか。

うちの一人目がアメリカで生まれたときは、たった2泊で病院から追い出されました。まだ回復が十分でなかった妻を車イスでタクシーまで運んだりして結構大変でしたよ。ところが妻と同室のアメリカ人ママは、なんとハイヒールを履いて、スーツを着て颯爽と歩いて退院して行くのをみて唖然としました。あの時は、きっと日本人とアメリカ人の体格の違いなのだと勝手に解釈していました。

アメリカでは帝王切開後でも4泊ぐらいで退院するそうです。この入院期間の短さは、非常に高い医療費と、それをカバーしきれない医療保険が原因と聞いたことがあります。
ドイツでは、基本的に入院日数は自分で決定します。通常の出産の場合、最長でも5泊程度ですが、早い人は2~3泊で出て行ってしまう人もいるそうです。うちは妻の産後の回復が早そうだったので、5泊は不要と判断し、4泊の計画にしました。日本と比べると短いかもしれませんが、うちはアメリカの2泊のつらい経験があるので、これでも楽ちんなのです。

ヨハニタ病院

【ヨハニタ病院】
ボン市内にある、150年の歴史を誇る病院。茶色の外壁にその古さの面影が残る。

病室

【個室】
ぶら下がっている端末はテレビ、ラジオ、電話、インターネットができる優れもの。娘は診察の時以外は、昼夜母親と一緒の部屋で過ごしています。

ヨハニタ 窓からの景色

【病室の窓からの景色】
冬でも緑が見えます。入院2日目には雪が降りました。

女の子が生まれました

2月7日の早朝、ボン市内のJohanniter病院にて、無事、長女が誕生しました。体重は2740gの小柄な女の子です。

ドイツ語圏の病院での出産はどうなることかと思っていましたが、医師・看護婦ともに、とても熱心かつ親切で、またスタッフの人数や設備も十分で、とても快適な出産を迎えることができました。

深夜、病院に到着してから3時間後には出産でき、とても安産でした。母子ともに健康です。入院は4泊の予定で、日曜日の朝には退院する予定です。

まずは簡単にご報告まで。



もう予定日。

もうすぐ生まれると言い続けてすでに3週間。予定日の1月30日になっても、まだ生まれる気配まったくなし。検診では胎児の体重は順調に増えて、3キロ前後になっているらしいです。今月初めのあの入院騒ぎは一体何だったのでしょう。

会う人会う人に「もう生まれた?」「まだ生まれないの?」と言われ続け、息子の同級生のお母さんなどは「こんなに長い妊娠は初めて見た」なんて大げさなことを言う始末。今、日本からお義母さんと義妹が来てくれているので、滞在中には生まれてくれないと。。。

ともあれ「順調」です。

とりあえず退院

一晩で退院しました。まだ産まれていませんよ。

木曜日の検査でIUGR(intrauterine growth retardation:子宮内胎児発育遅延)と診断され、血流値が悪かったり、しかも逆子であるため、病院側でもかなり心配して万全の体制で入院し、遅くても月曜日には手術になるだろうと言われていたのですが、一晩入院してしっかり検査をした結果、緊急性がないことがわかり、一旦帰宅できることになりました。

木曜日に超音波検査をした病院はボンで一番大きな大学病院。ここで知らされた悪い検査結果について、まず掛かり付けの産婦人科医と午後相談し、翌日金曜日、こんどは出産予定の近所のJ病院へ持っていって手術の計画について話し合うことになりました。ちょっとややこしいのですが、今回の妊娠出産に関して、ボン市内の3カ所の病院・医院とやりとりをしているのです。

そして、出産予定のJ病院の医師が例の検査結果をみると、慌てて「今すぐ入院してもらいます。おそらく月曜日には帝王切開で出産しないと危険です」と言うのです。まさかその場で入院させられるとは思っていなかったので、たまげました。

入院手続きを済ませ、妻が検査室に入ったところで、息子と妻を置いて、僕だけ家に戻り、宿泊に必要な荷物とか、入院に必要な書類を持って、病院に戻りました。動揺していたので、運転途中の道のりを全く覚えていません。

一晩かけてじっくり検査してもらった結果、大学病院とは違ったもっと安定したデータが取れ、緊急の危険性はないと判断されました。とりあえず退院して、通院で検査を続けることにしましょう、ということになったわけです。

ホッとしたとともに、ドッと疲れがでました。最初の悪い結果をもとに、IURGの危険性、手術の緊急性についていろいろ脅かされましたから。そもそも、なぜ2つの病院で全く違う結果が出たかというと、胎児が検査中ずっと動き回っていたのと、逆子のポジションで胴回りの測定が難しかったためではないかと。

ボンの大学病院の産科はレベルが高いことで定評で、今回のような検査結果のぶれは本当に珍しいそうです。入院したJ病院の教授も驚いていました。診断に関して、セカンドオピニオンをもらうということの大切さを痛感しました。今回は自分からそうしたのではなく、成り行きでそうなったわけですが。

悪いことばかりではありませんでした。妻が一晩入院したことにより、病院のシステムや病室の様子など良くわかりましたし、出産に向けた入院手続きはプライベート保険も含めて既に完了。入院中に読まされる処置の説明書や同意書なども英語版をすべて入手したので、次回入院するまでにじっくり読んで準備することができます。出産入院のリハーサルだったと思えば、次回に向けてこんなに心強いことはありません。

さて、本番はいつになることやら。

もうすぐ出産か!?

予定日は1月30日なのに、超音波検査の結果、妻が急遽1月5日から入院することになりました。この週末の間、検査を続けて、もしかすると来週早々にも手術をして出産することになる可能性があるとのことです。

入院の準備など全くせず、検査のためだけに病院に行ったので、急な展開にちょっと慌てています。

NYで長男が生まれたときもそうでした。検査のために産婦人科に出かけたら、「もう陣痛が始まっているのでこのまま病院へ直行してください」と。お泊まりセットを全く持たずにのんびり歩いて病院へ行ったのでした。

今回はどうなることか。とりあえず入院手続きを終え、医師と手術に関する打ち合わせをしたり、ベルギーにある保険会社と電話で打ち合わせしたりと一仕事終え、妻は今、個室の病室をあてがわれて静かにしています。

また詳しく報告します。

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プロフィール

mickey10044

Author:mickey10044
男性。1999年より国連職員。

インド、ジュネーブ、ニューヨーク、ボン、ウィーンを経て、現在はイタリア・トリノの国際機関に勤務。IT部門のチーフ。PMP,CISSP。

mickey10044#hotmail.com
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